ライフエッセンス

多趣味な人間の生き様をさらけ出します

あの頃阪神タイガースは弱かった

こんばんは。

MA-YANです。

 

阪神暗黒時代の話

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ひょっとすると野球の話は初めてかもしれません。

小さい頃1番好きだったスポーツは野球でした。

今も野球は好きですが、観戦に行く事は少なくなりました。

 

小さい頃のスポーツの思い出はほとんど阪神タイガース

 

もともと甲子園に近い場所で生まれ育った私は、根っからの阪神ファン

 

父方のじいちゃん以外は家族全員阪神ファンでした笑

 

中でも、母方のじいちゃんは根っからの阪神ファン

 

その上某放送局のスポーツ中継担当だったので、阪神の試合チケットをたくさん貰ってた。

今はコンプライアンス的に大丈夫かなと思わんでも無いですが、20年以上前の話なのでご愛嬌。

 

そして、ばあちゃんの弟は阪神園芸のお偉いさん。

 

そのおかげで甲子園の土ももらえた。

これは阪神ファンからするとかなり恵まれた環境だったと今になって思う。

 

その影響で、小学生の頃は頻繁に甲子園に野球を見に行っていた。

 

憧れは新庄だった。

圧倒的なカリスマと、守備、肩の強さ、勝負強いバッティング、豪快なホームラン。

 

初めて憧れたスポーツ選手かもしれない。

 

新庄の直筆サイン色紙は今でも大事に持っている。

メジャーに行く前にもらったものだ。

 

あと、坪井と秀太もあるよ!笑

 

もちろん好きな選手は新庄以外にも沢山いた。

というより阪神の選手はみんな好きだった。

 

特に新庄を筆頭に和田、八木、亀山、桧山、藪あたりはすごく好きだった。

 

当時の平田コーチには何回かピッチング練習に使って汚れたボールをもらったのも嬉しかった思い出

 

とはいえ、当時の阪神は暗黒時代と言われていた時。

 

弱小で万年最下位だった阪神をそれでも愛のあるヤジで応援し続けるアル中スレスレのオヤジ達。

 

勝ったら優勝したかのごとく喜び。

 

負ければメガホンを投げたり、容赦ないヤジを浴びせる。

 

その中に混じって私も周囲の大人の真似をして応援したり、ヤジを飛ばしていると、ボウヤええぞー!と周りにいたオヤジ達がつまみのお菓子を分けてくれたりしたのを今でも覚えている。

ビールは飲んでないぞ…

 

そして当時の甲子園は汚かった笑

 

けれど、外野スタンドは誰もが阪神を愛していて、勝っても負けても熱く、立って応援していた。

その熱や雰囲気が最高に心地よくて。

 

この甲子園のライトスタンドも含めて阪神ファンだったのかもしれない。

 

今と比べると応援が熱い分マナーは良くなかったけど笑

 

当時は旗の大きさに規制もなくて、ものすごいサイズの旗が舞っていたのを覚えている。

特に9連の星条旗が舞っている風景は圧巻だった。

 

良くも悪くも時代の移り変わりは変えられず、特に2003年に阪神が優勝する前後くらいから球場のファンの雰囲気が変わった気がする。

 

2003年に阪神が優勝した時はまさにお祭りで、優勝したぐらいから明らかに球場に観戦に来る人が増えてきた。

 

ただ、人は増えたのだけど、あのヤジや酔っ払いのオヤジ達の熱い応援というのが徐々に減っていったように感じて少し寂しくなった。

 

そのせいではないが、この頃から阪神の試合を見に行く事はかなり減っていった。

新庄がメジャーに行ってから減り始めたのかもしれない。

 

優勝はすごく嬉しかったのだけど、ダメ虎と呼ばれて万年最下位だった阪神タイガースを、それでも愛していたみんながいたライトスタンドじゃなくなったんだなとなぜか寂しく感じた。

 

そして、旗が小さくなり、マナーが厳しくなり、応援団が変わり…

 

もう自分が知っている甲子園のライトスタンドという雰囲気からはだいぶ変わった。

 

ライトスタンドから見る景色は今も同じなんだけど、感じるものは違う。

 

きっとだいたいの人は応援や観戦しやすい環境になったのだと思う。

 

諸行無常という言葉のように、変わらないものはなく、常に時代も変わりゆくもの。

 

それは分かっていても、どこか寂しく感じてしまう自分が、ああおっさんになったんだなぁと

 

今もあのライトスタンドの風景を時々思い出す。

 

そして、今月末5年ぶりに甲子園に阪神戦を見に行く。

タイガースのユニフォームを着た鳥谷を見るのは最後になるかもしれない。

 

勝ってほしいな。

 

 

 

MA-YANでした。