こんばんは
MA-YANです。
何事も経験
今日ジムの帰り道になんとなく考えていたことがあって。
大したことではないんですが、生きている中で経験したことで無駄な経験ていうのはあるのかなと。
すぐにそんなの無いと言い切るのは考えが足りないような気がして自分の経験を思い出しながら考えていました。
割と下らない経験でも役に立ったかな?と考えていて、1番に思い浮かんだことがありまして。
昔トリビアの泉という番組が流行りだしたくらいの頃に雑学に少しハマって結構色々な雑学を覚えてました。
ただ、当時は覚えた雑学も大して役に立たずにすぐ飽きたのですがw
そこから数年経って、よく合コンやるようになったのですが、そこで話のネタに雑学を入れていると、思いの外ウケが良くて、鉄板になりましたw
当時は、こんなところで役立つ知識もあるんだなと昔の自分に感謝したことを覚えていますw
無駄な時間使って雑学覚えて後悔したことなどすぐ忘れましたw
一見生きていく上であまり役立たなそうな事って沢山あると思うのですが、意外なところで役立つこともあるんですよね。
頑張って努力したけどダメだった事や、諦めてしまったことが役に立つ事もきっとあると思います。
私のしょうもない話を引き合いに出すのは申し訳ないですがw
もちろん努力して何か行動をすることはとても大事なことですが、「どうせダメだから」とか、「やっても報われないならやらないほうがいい」という考えになるのはもったいない気がします。
同じチャンスは何度もめぐってくるわけではないですから…
うまくいくかどうかなんてわかりませんが、やる前から自分の可能性を閉ざしてしまうのは自分が可哀想です。
「こんなに頑張ったのにダメだった」とか「これだけ努力したのに認められない」という悲観は気持ちはわからなく無いのですが、努力することに対して対価を求めてしまうというのは目的が疎かになりがちな気がします。
努力したことに対して自分を褒めてあげるというのは大事なことですし、なにより自分を認めて受け入れるということが出来れば自ずと努力も苦にならないと私は思います。
感覚的なことを言葉にするのは難しいので、うまく伝えられないのですが、「努力をして失敗した自分」と、「努力をせず失敗もしない自分」であれば、成長できるのがどっちかは容易に想像できると思います。
私は「努力をせずに後悔をするという自分」を想像したときに、努力をしなかった自分を受け入れられません。
失敗する事は怖いかもしれませんが、失敗を一生避け続けるのはもっと大変だと思います。
いつか失敗するかもしれないという恐怖心を抱えながら生きていくストレスを考えると、失敗して実際に失うものは想像してるよりはるかに小さいはずです。
命を失うような失敗は別ですがw
私は毎日失敗を積み重ねて、けれど亀ぐらいの速度で毎日成長していると自分自身を信じています。
ウサギとカメが競争すれば、最後に勝つのはカメです。
失敗を受け入れられない人は、まず自分を好きになることから始めるというのが良いと思います。
きっと小さな成功を喜べるようになって、自信も少しずつついてくると思います。
失敗は怖くない
MA-YANでした。