ライフエッセンス

多趣味な人間の生き様をさらけ出します

人生について深く考えてみた話

こんにちは。

頭痛がなかなか治らないMA-YANです。

 

生きている以上は時間というのは有限なわけで。

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技術の進歩は日々加速度的に進んでいますね。

いつか不老不死なんて時代が来るのかもしれませんが、それはそれで結構しんどいのかななんて考えることがあります。

 

皆さんたまに宇宙について夜通し考えてみたりなんて事ありますよね?

 

私だけ?

実際宇宙について考えたところで実益がないので無駄と言ってしまえばそうなんですけど、たまに意味のないことを考えてしまうことがあります。

 

なんだか宇宙の事を考えていると人生ってなんだろうなと思ってしまうこともあるわけです。

 

人生における目標や目的について考える人はそんなに多くないと思います。

 

生きていく上で目的や目標というのが無くても支障はないと思いますが、人生の最終目標がある人にとっては、目標達成するために明確なビジョンが必要になってくるわけです。

 

妄想では夢や目標を実現させる事というのは難しい。

今まで生きてきた上で妄想レベルでこうなったらいいなぐらいの目標や願望というのは、まったくもってうまくいってないのでこれは確信を持って言えることです。

 

逆に絶対実現したい夢や目標というのは、必然的に現実レベルに落とし込んで計画を立てて行動しているような気もします。

絶対実現したいものがあるからこそ、結果から逆算して行動計画を立てていくものです。

 

世の中うまくいくことよりも、思い通りにいかないことの方が多いというのがまた人生の深い部分かもしれませんね。

 

私は毎日失敗の連続で、へこたれるという事こそありませんが、うまくいかなかったらどうやっていこうかなと予備の策やその後の事は常に考えてしまいます。

 

それでも、失敗を続けていると、このままでうまくいくのかな?と疑問が大きくなったり、迷いが出てくるのですが、そういった不安を払拭するにはそれ以上に勉強や研究して打ち込んでのめり込んで迷いや不安を打ち消すほかありません。

 

歌の歌詞なんかでもよく自問自答なんてフレーズが使われたりしますが、毎日のように自問自答です。

 

人生は長いと勝手に思っていますが、未来のことは全く予想も出来ません。

100年くらい生きるかもしれないし、明日死ぬかもしれない。

死んだ後のことはわからないし、死に直面した時どんな気持ちなのかもわかりません。

 

後悔をして生きるのは嫌だけど、明日死んでしまうとわかっていたら10年後を見据えて行動なんてしないでしょう。

 

明日死ぬと信じてやりたい放題やったとしても、明日死ななければ残りの人生がしんどいだろうから、やはり長生きする前提で人生設計というのはやっていくべきなんだろうなと思うわけです。

 

人生100年時代と言われる時代において、いったいどれだけの人が100年間の人生の最終目標を設定して生きているのでしょう。

 

将来にはなんの保証もないけれど、自分がやりたい事、果たしたい事を持って生きることがやり抜いたとかそういった達成感のようなものにつながると思います。

 

毎日コツコツと努力を積み重ねていく事で、1日1日は小さな変化でも、長い目で見れば果てしない進化を積み重ねているわけです。

 

人生において明確な正解も無ければ答えなんてものもないわけで。

自分を信じてやっていく事の終着点が死なのかどうかもわからないまま、自分は一体何者なのかと考えを巡らせて生きていくわけです。

 

なにが正しいのかは誰にもわからないし、人それぞれ答えは違っていいものだと思います。

 

ゴールなんて見えなくて当然であって、答えを探すことに意味なんてないのかもしれません。

それでも何かをやりきった達成感というのが一番のご褒美になるのではないかな。

 

哲学的な難しい話というわけではないけれど、人生において確かな確信を持ってやっていきたい事、やりきったと言える事があるというのが一番の強みになるんじゃないかなというのが今の私の考えです。

 

また毎日自問自答を繰り返して…

 

MA-YANでした。