ライフエッセンス

多趣味な人間の生き様をさらけ出します

マナーとか倫理感は環境に依存するのか

こんにちは。

昨日の鈴鹿8時間耐久ロードレースの正式結果が待ち遠しいMA-YANです。

 

昨日のレースはシビれましたね。

最後の最後でびっくりの展開でした。

どうなることかと思いましたが、カワサキの優勝で決まりなんでしょうか。

 

今日は

マナーとか倫理感はどこで育まれるのか

という話。

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近年バカッターと呼ばれたりする迷惑行為が問題になったりしますが、SNSの拡散力というのはすごいですよね。

 

今はSNSというものがあるからこそ、迷惑行為が目立つわけです。

迷惑行為自体の数というのは増えているのか、減っているのか。

統計の取りようがありませんが、個人的な考察としては、今も昔も変わってないんじゃないかと思うわけです。

 

人間の本質というとちょっと違うかもしれませんが、例えば人間が100人集まると、働き者もいれば、サボる人も必ず出てきます。

 

これは、環境が変わって人が変わってもマジメな人と不真面目な人は同じような割合になるわけです。

働きアリの法則というものになりますが、ずっと変わらない本質なのかもしれません。

 

マナーや倫理という話からは少し逸れちゃいましたので本題に戻ります。

 

結論から言うと。

一般的にマナーや倫理といったものは小さい頃からの家庭環境や周りの環境といったものに左右されると私は思っています。

 

生きていく上でマナーや倫理感というのは必要かどうかという問題に関しては、賛否両論あるかと思いますが、やはり社会で生きていくにはある程度必要かなと思います。

 

自分一人で生きていくなら必要ないかもしれませんが、そんな事は不可能に近いです。

 

社会に同調して生きていく必要はないと思いますが、他人に迷惑をかけないという意味では必ず必要ですよね。

中には自分が良ければ周りを不快にしてもいいとか、そもそも自分が周りを不快にしている事にさえ気づいてない人も多いですが、これは周りの環境に影響された結果なのかなと思うところです。

 

私も10代中盤から後半は、まわりの友達や環境に影響されて道を逸れた事がありました。

周りに迷惑もたくさんかけましたし、今でも後悔したり夢に出てくることもあります。

周りの環境が違っていれば、また違った10代を過ごせたかもしれませんが、時間は巻き戻せないので反省を糧に生きるしかありません。

 

結局はマナーや倫理感が無いことが恥ずかしいと思えるかどうかという部分が全てだと思います。

「俺はマナーや倫理感なんか関係ねぇ」と思う人はそれで幸せなのかもしれませんし、いつ気づくかという問題だけでしょう。

 

気づいたら直せばいい事ですし、生きていく上で遅すぎるという事はありませんので、気づいた時点で周りの環境を変えて直していけばいいと思う次第です。

偉そうなことを言ってますが、私はマナーや倫理に関してはまだまだ3分の1人前くらいの恥ずかしい人間なので、一生かけて直していきたいと思います。

 

MA-YANでした。